ビジュアル学習 | 注釈 | 響き | 研究 | 朗誦者紹介 | 章名一覧
 

【第2章 雌牛】
(2:70〜2:83)
 

彼らは言った、「それがどんなものか、われらに明かし給うよう、おまえの主に祈ってくれ。まことに牛はわれらには似通っている。アッラーが御望みであればわれらも導かれた者となろう」。(2:70)

『それがどんなものか』それは放牧された牛か、役牛か。

『牛は』その名で呼ばれる種類のものは。

『われらには似通っている』その数が多いので、われらは(アッラーから求められている)目的の牛にたどりつけない。

『アッラーが御望みであればわれらも導かれた者となろう』目的の牛に。「もしここで彼らが『アッラーが御望みであれば(インシャーアッラー)』の言葉を口にしていなければ、彼らには永遠に明らかにされなかったであろう」(ハディース)。

彼は言った、「それは、土地を耕すようには飼い馴らされておらず、耕地に水を撒くこともない、健全で、まだらのない牛であると仰せられる」。彼らは、「いまこそおまえは真理をもたらした」と言って、それを犠牲に捧げたが、あやうく実行しそこなうところであった。(2:71)

『土地を耕すようには』農業のために土を掘り返す。この文は『飼い馴らされておらず』の形容修飾節であり、否定詞がかかっている。

『飼い馴らされておらず』使役用に飼い馴らされておらず。

『耕地に』農業のために整えられた土地に。

『健全で』瑕疵がなく、使役の痕がない。

『まだらの…』色の。

『…ない牛』その(身体の)色以外に。

『「いまこそおまえは真理をもたらした」と言って』「おまえは完全な説明を述べた」と言って。そこで彼らはその牛を探し、母親孝行な少年の許にそれを見つけた。そして、その牛の皮一杯の金を払ってそれを買い求めた。

『あやうく実行しそこなうところであった』その価格があまりに高かったので。
「彼らが最初にどんな雌牛であれ屠殺していれば、それで彼らには間に合っていたのである。ところが彼らは自分で自分に厳しい条件を課したために、アッラーは彼らに厳しい条件を課し給うた」(ハディース)。

彼らはぐずぐずと質問を重ねたせいで、あるいは犯人が明らかになることを恐れたせいで、あるいは黄色の牛が高価なせいで、あやうく命令を実行しないところであったが、とうとう言い訳も尽き、殺さざるを得なくなった。

また、おまえたちが一人の人間を殺し、そのことで互いに喧嘩になった時のこと。アッラーはおまえたちが隠したことを明るみに出す御方。(2:72)

『互いに喧嘩になった』つまり、言い争いになった。これが物語の発端である。『喧嘩になった(iddār’tum)』の語中では、第8形動詞の挿入文字「ターゥ(t)」が「ダール(d)」に吸収同化されている。

『アッラーはおまえたちが隠したことを』その(雌牛の)事件の。

『明るみに出す御方』解明される御方。この文節は、(『…喧嘩になった時のこと』と『そこでわれらは言った…』の間の)挿入節である。

そこでわれらは言った、「それをその一部で打て」。このようにアッラーは死者を生かし、おまえたちに彼の印を見せ給う。きっとおまえたちは考えるであろう。(2:73)

『それを』死人を。

『一部で打て』そこでその雌牛の舌、あるいは尾の付け根で打った。すると死人は甦り、私を殺したのは某と某である、と告げて、再び死んだ。殺人犯は二人とも死者の父方の甥であったので二人は相続を停止され処刑された。

至高なる御方は仰せられた。

『このように』甦りは(この生き返りのようにある)。

『彼の印を』彼の力の証拠を。

『きっとおまえたちは考えるであろう』おまえたちは熟考し、一人の人間を甦らせる力のある御方は多くの人々を甦らせる力もあることを悟り、信じるであろう。

イスラーイールの民に一人の金持ちがいた。彼には貧しい甥がいたが、その他に彼の遺産相続者はいなかった。その金持ちがなかなか死ななかったので、甥は彼を殺し、別の町に死体を持っていって、その門に投げ捨てた。朝になると彼はその復讐を求め、人々と共にムーサーの許にやって来て、彼らを殺人容疑で訴えたが、彼らは否認した。ムーサーにもこの殺人事件は難問であった。そこで人々はムーサーに彼らの難問を解決してくれるようにアッラーに祈願するよう頼んだ。ムーサーが彼の主にそれを願うと、アッラーは雌牛の屠殺とその一部で死体を打つように彼に命じたのであった。

その後、おまえたちの心は固くなった。それはまるで岩のよう、いや、さらに固い。岩の中には、そこから小川が湧き出るものもあれば、そこから水が裂け目を作って流れ出るものもあり、アッラーを慴れて崩れ落ちるものもある。アッラーはおまえたちがなすことについて見落とす御方ではない。(2:74)

『その後』死者の生き返りやそれ以前の様々な奇跡など既述の出来事の後。

『おまえたちの心は固くなった』ユダヤ教徒よ。おまえたちの心は真理を受け入れることに硬化した。

『それはまるで岩のよう』硬さにおいて。

『さらに固い』その岩よりも。

『そこから水が裂け目を作って』『裂け目を作って(yashshaqqaqu)』は、元の第5形動詞の挿入文字「ターゥ(t)」が「シーン(sh)」に吸収・同化されたもの。

『アッラーを慴れて』ところが、おまえたちの心は動かされもせず、軟化もせず、謙らない。

『崩れ落ちる』上から下に。

『アッラーはおまえたちがなすことについて見落とす御方ではない』ただ、おまえたちの定めた時までおまえたちを猶予し給うているにすぎない。
読誦法によっては、接頭辞を下の点(ya)とする(「彼らがなす…」)。その場合には二人称への語りかけから(三人称の客観的記述へ)の転換がある。

スンナ派の信条では、無機質のものにも動物にも至高なるアッラーの認識と知識があるが、それはアッラーだけがご存知である。それらのものにも礼拝があり、アッラーに賛美を捧げ、アッラーを畏怖していることは、以下のクルアーンの節が述べる通りである。『まことに、どんなものも必ず彼を称賛し、賛美を捧げている。だが、おまえたちは彼らの賛美を解さない』(第17章[夜の旅]44節)、『もしわれらがこのクルアーンを山に下したならば、それが謙り、アッラーを恐れて粉々に砕けるのをおまえは見たであろう』(第59章[集合]21節)。

おまえたちは、彼らがおまえたちを信じることを期待するのか。彼らの一派はアッラーの御言葉を聞き、それからそれを理解した後に、知った上で書き換えたというのに。(2:75)

『おまえたちは』ムスリムたちよ。

『彼らが』ユダヤ教徒が。

『期待するのか』信仰する者たちよ。疑問詞「…か(’a)」は非難の意味である。つまり、期待するな。彼らには不信仰の前科がある。

『彼らの』彼らの学者たちの。

『一派は』一集団は。

『アッラーの御言葉を聞き』律法の書の中の。

律法の書の中に書かれた預言者ムハンマドの特徴の記述や姦通に対する石打刑を規定した節など。

『それを理解した後に』それが分かった後に。

『知った上で』彼らが嘘を言っていることを。

『書き換えた』歪曲した。

また、彼らは信仰する者と出会えば、「われらは信じた」と言いながら、彼ら同士だけになると、「アッラーがおまえたちに明かし給うたものについて彼らに語り、おまえたちの主の許でそれについて彼らにおまえたちと言い争わせるつもりか、理解しないのか」と言う。(2:76)

『彼らは』つまり、ユダヤ教徒の偽信者たちは。

『われらは信じた』ムハンマドが預言者であり、彼がわれらの啓典の中で予言された者であることを。

『彼ら同士だけになると』彼ら同士だけに戻ると。

『アッラーがおまえたちに明かし給うたものについて』つまり、律法の書の中でおまえたちに教えたムハンマドの記述について。

『彼らに語り』つまり、信仰者たちに。

『おまえたちの主の許で』来世で。

『それについて彼らにおまえたちと言い争わせるつもりか』彼ら(ムスリムたち)は、おまえたち(ユダヤ教徒)が彼(預言者ムハンマド)の正しさを知っていながら彼への服従を拒んだことについて、おまえたち(ユダヤ教徒)に対して立証する。

『理解しないのか』もしおまえたちが彼ら(ムスリムたち)に話せば、彼らがおまえたちを論駁することを。そして止めないのか。

『…と言う』彼らユダヤ教徒の指導者たちでムスリムのふりをしない者が、ムスリムを装った偽信者に対し。

彼らは知らないのか、アッラーが自分たちの秘していることも公にすることも知り給うことを。(2:77)

至高なる御方は仰せられた。

『彼らは知らないのか』確認の疑問文である。『…のか(’a wa lā)』は、疑問詞「’a」と否定詞「lā」の間に接続詞「wa」が挟まれたもの。

『アッラーが自分たちの秘していることも公にすることも知り給うことを』ムハンマドの特徴記述についてもそれ以外についても、彼らが隠していることも顕わにしていることも。それゆえ、それを改めよ。

彼らの中には文盲で、啓典を知らない者たちがいる。ただ、甘い希望があるだけで、彼らは思い込んでいるにすぎない。(2:78)

『彼らの中には』つまりユダヤ教徒の中には。

『文盲で』大衆で。

『啓典を知らない者たちがいる』律法の書を知らない。

『ただ』ただし。

『甘い希望があるだけで』彼らの指導者たちから教え込まれた妄想。そして彼らはそれに頼っている。

『彼らは』彼ら(ユダヤ教徒の指導者たち)がでっちあげた預言者ムハンマドの預言者性の否定において。

『思い込んでいる』憶測があるだけで、彼らには知識はない。

『…にすぎない(in…’illā)』辞詞「in」は否定詞「mā」の意味。

自らの手で啓典を書きながら、わずかな代価を得るために、これはアッラーからのものだと言う者に災いあれ。彼らの手が書いたものゆえに彼らに災いあれ。そして、彼らが稼いだものゆえに彼らに災いあれ。(2:79)

『自らの手で啓典を書きながら』彼らによる捏造によって。

『わずかな代価』現世の。

『これはアッラーからのものだと言う者』これはユダヤ教徒のことである。彼らは律法の書の中にある預言者ムハンマドの特徴の記述や姦通に対する石打刑を規定した節を改竄し、啓示されたのと異なるものに書き換えた。

『災いあれ』厳しい懲罰があれ。

『彼らの手が書いたもの』でっちあげ。

『彼らが稼いだもの』賄賂。

「ワイル(災い)」とは痛烈な懲罰のこと、あるいは、地獄のワジ(涸川)のことで、もし山がそこに連れて行かれたら、熱さで溶けてしまうと言われる。ユダヤ教の学者たちは預言者ムハンマドがマディーナに来るとユダヤ人の庶民が彼を信じ、それまで彼らから受け取っていた寄進の金を失うことを恐れて、自分たちの手で律法の書の中に描かれた預言者の特徴を改竄した。それは美しい顔、美しい髪、黒い両眼、中肉中背であったが、彼らはそれを長身、碧眼、直毛と書き換え、庶民たちはその虚偽の特徴を教えられ、預言者の特徴と違うと思い、彼の預言者性を否認した。

また、彼らは、「獄火がわれらに触れるのは一定の日数だけだ」と言った。言ってやれ、「おまえたちはアッラーの御許に約束を取り付けたのか。そうであれば、アッラーはその約束を違え給うことはない。それとも、おまえたちはアッラーについて知りもしないことを言っているのか」。(2:80)

『獄火がわれらに触れるのは』われらを襲うのは。

『一定の日数だけ』少ない日数。彼らの祖先が子牛を拝んだ40日間で、その後それは消えうせる。

『…と言った』預言者ムハンマドが獄火を彼らに約束された際に。

『言ってやれ』ムハンマドよ、彼らに。

『アッラーの御許に約束を』それについて彼からの契約を。

『取り付けたのか』いや、(取り付けてはいない)。『取り付けたのか(’attakhadhtum)』には第8形動詞の接頭辞の「ハムザ・アル=ワスル」が省略されている。疑問詞「’a」の「ハムザ」が文頭にあるため、それが不用になるからである。

『その約束を』そのことについての約束を。

『それとも…のか』いや、そうではなく…。

いや、悪を稼ぎ、自分の過ちに取り囲まれた者、それらの者は獄火の輩であり、彼らはそこに永遠に住まう。(2:81)

『いや』獄火はおまえたちに触れ、おまえたちはその中に永遠に留まる。

そこ(獄火)にはもはや善行の余地はなく、楽園への道は完全に閉じられているのである。

『悪を』多神崇拝を。

『自分の過ちに取り囲まれた』つまり、多神教徒として死んだことによって過ちが全方位から彼を包囲して取り押さえた。なお、『自分の過ち』には単数形(「khatī’atu-hu」)と複数形(「khatī’ātu-hu」)の二通りの読誦法がある。

『それらの者は』関係代名詞「…者(man)」の意味に則り、複数形になっている。

一方、信仰し、善行をなした者たち、それらの者は楽園の輩であり、彼らはそこに永遠に住まう。(2:82)

また、われらがイスラーイールの子孫から約束を取り付けた時のこと。「おまえたちはアッラー以外のものに仕えはしない。そして、両親には至善を。そして血縁がある者、孤児、貧しい者にも。そして人々には良いものを言え。また、礼拝を守り、喜捨を払え」。その後、おまえたちはわずかな者を除き背を向けた。そして、おまえたちも背反者である。(2:83)
ハフス&アースィム版:また、われらがイスラーイールの子孫から約束を取り付けた時のこと。「おまえたちはアッラー以外のものに仕えはしない。そして、両親には至善を。そして血縁がある者、孤児、貧しい者にも。そして人々には善を言え。また、礼拝を守り、喜捨を払え」。その後、おまえたちはわずかな者を除き背を向けた。そして、おまえたちも背反者である。(2:83)

『われらがイスラーイールの子孫から約束を』律法の書の中で。

『取り付けた時のこと』思い起こせ。

われらは言った。

『おまえたちは…仕えはしない』(動詞接頭辞を二人称の)「ターゥ(t)」で読む(「おまえたちは…仕えはしない(ta‘budūna)」)読誦法と(三人称の)「ヤーゥ(y)」で読む(「彼らは…仕えはしない(ya‘bdūna)」)読誦法がある。

『アッラー以外のものに仕えはしない』禁止命令の意味をもった平叙文(命令の厳守の要請の強調である)。「アッラー以外のものに仕えるな(lā ta‘budū)」と(否定命令で)読む読誦法もある。

『至善を』孝行を。尽くせ。

『そして血縁がある者』親戚関係。『両親』につながる。

『そして人々には良いものを』良い言葉を。
勧善懲悪やムハンマドの使命の是認や人々への親切などの。「husnan(善を)」とする読誦法では、これは動名詞で、形容詞「hasanan(良いものを)」をより強調したものである(監訳者注:ハフス&アースィム版では「husnan」)。

両親への孝行がアッラーへの崇拝に関連付けられているのは、恵みを与える者への感謝は義務だからである。まず、しもべはアッラーに対し最も大きな恵みを負っている。なぜなら、彼は己を無から存在させ給うたからである。それゆえ、彼に対する感謝は他の者への感謝より優先されるべきである。次いで、子は両親に大きな恵みを負っている。なぜなら、両親は己の存在の原因であり、彼らに対し、子は養育(を受けたこと)への義務を負うからであり、それゆえ、両親の権利は実際の存在をもたらし給うた恵みの与え主(アッラー)の権利に続く。また、両親への孝行の後に近親への孝行が続くのは、近親の権利は両親の権利に準ずるからであり、彼らへの孝行とは両親を介して生じるものにすぎないからである。

『礼拝を守り、喜捨を払え』そして、おまえたちはそれ(約束)を受け入れた。

『おまえたちはわずかな者を除き背を向けた』その約束の履行から背き去った。ここでは、三人称から(二人称へ)人称の転換がある。(『おまえたち』とは)彼ら(イスラーイールの民)の父祖たちを意味する。

古代イスラエルの民から預言者の時代のユダヤ教徒へと語りかけの対象が転換しているとも考えられる。

『おまえたちも背反者である』それに対し。おまえたちの父祖同様に。

『その後、おまえたちは…背を向けた』は彼ら(ユダヤ教徒)に向けた言葉であるが、その意味するところは彼らの父祖である。一方、『そして、おまえたちも背反者である』は彼ら自身に話し掛けたものである。つまり、おまえたちの父祖は背を向け、おまえたちも彼らに続いて背を向けた、と言っているようなものである。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



↑UP↑








日本語トップ | リンクについて | サイトマップ | ヘルプ



2005年 アラブ イスラーム学院