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監訳者による解説
 


1.タフスィールとは
2.タフスィールの歴史
3.タフスィールの翻訳
4.『タフスィール・アル=ジャラーライン』
5.邦訳にあたって



クルアーンはアラブの預言者ムハンマドに23年にわたって断片的に啓示された章句が、預言者の在世中に今の形に編集されたものであるが、啓示の時代順に並べられたのではなく、主題別に整理されているわけでもない。

従って初学者がいきなりクルアーンを読もうとすると途方にくれる、あるいは一見矛盾する内容を見出し、真意をはかりかねることにもなりかねない。

例えばイスラームにおける飲酒の禁止はつとに有名であるが、クルアーンの中に飲酒に関連する規定を探すと、第2章219節、第4章43節、第5章90節、第16章67節の4つの章句を見出す。

これらのクルアーンの章句自体の中には、最終的に神意がどこにあるのかを決定しうる文言は存在しない。神意の所在を知るためには、クルアーンの啓示された状況、預言者による説明などのクルアーン本文以外の情報がどうしても必要になる。

そこで例として第2章219節について、ここに訳出した古典タフスィール(クルアーン注釈書)『タフスィール・アル=ジャラーライン』とその脚注の該当個所を紐解くと、以下のような解説を見出す。

『彼らは酒と掛け矢についておまえに問う。言ってやれ、「そこには大きな罪と人々への益があるが、それらの罪は益よりも大きい」。
彼らは、なにを施すべきかとおまえに問う。言ってやれ、「余分なものを」と。
こうしてアッラーはおまえたちに印を明らかにし給う。きっとおまえたちは考えるであろう。(2:219)』


この節は、ウマル・ブン・アル=ハッターブ、ムアーズ・ブン・ジャバル、及びアンサール(マディーナで預言者を迎え支援した者たち)の者たちがアッラーの御使いの許を訪れ、「アッラーの御使いよ、酒と掛け矢について私たちに法判断を下してください。どちらも理性を去らせ、財産をなくさせるものです」と言ったのに対して下された。

「酒(khamr)」の原義は、「隠すこと」「覆うこと」である。酒は、理性を捕らえ(tukhāmir)、混濁させるものであることから「ハムル」と名付けられた。また、酒は理性を覆い隠すものであることからそう名付けられたとも言われる。

酒の禁止についてアッラーは4つの節を下し給うた。

まず、『また、ナツメヤシとブドウの実からも。おまえたちはそれから酔う物と良い糧を得る』(第16章67節)がマッカで下された。イスラームの初期において酒は許されたものであったため、ムスリムたちはそれを飲んでいたのである。

次いでマディーナでウマルとムアーズの質問に答えて、『彼らは酒と掛け矢についておまえに問う。言ってやれ、「そこには大きな罪と人々への益があるが、それらの罪は益よりも大きい」』(第2章219節)が下された。そこである者たちは「罪が大きい」という言葉から酒を遠ざけたが、またある者たちは「人々への益がある」という言葉からそれを飲み続けた。

アブドッラフマーン・ブン・アウフがアッラーの御使いの教友たちを食事に招いた。彼は客に食事を振る舞い、酒を飲ませた。マグリブの礼拝の時間が来たため人々は一人に礼拝の先導をさせて彼はクルアーンを読誦したが、「言え、不信仰者たちよ、おまえたちが仕えるものに私は仕える」(正しくは「言え、不信仰者たちよ、おまえたちが仕える者に私は仕えない」(第109章1−2節))と否定詞を抜いて最後まで読んでしまった。そこでアッラーは、『信仰する者たちよ、おまえたちが酔っている時にはなにを言っているかわかるようになるまで礼拝に近づいてはならない』(第4章43節)を下し、礼拝時に酒を飲むことを禁じ給うた。そこで人々は礼拝時には酒を遠ざけたが、ある者はイシャーゥ(夜)の礼拝の後に酒を飲み、酔ったまま朝を迎えスブフ(夜明け前)の礼拝をし、その後また酒を飲み、ズフル(昼)の礼拝時にはしらふに戻っていた。

ある時、ウトゥバーン・ブン・マーリクがサアド・ブン・ワッカースを含むムスリムたちを食事に招いた。彼らには焼いたラクダの頭が振る舞われた。人々は食べ、酔うまで飲み、その状態で家柄の自慢を始め、詩を歌った。ある者たちが自分の一族を誇る詩を歌い、アンサールの人々を笑い者にした。そこでアンサールのある者がラクダの顎の骨をつかんでそれでサアドの頭を叩き、骨の出るような傷を負わせた。サアドはアッラーの御使いのところに行って、そのアンサールを訴えた。すると、ウマルは、「アッラーよ、われらにハムルについてはっきりとした明証を示し給え」と言った。するとアッラーは第5章「食卓」の90節から91節の『これでおまえたちも止めにするか』までを下し給うた。そこでウマルは、「主よ、われらは止めました」と言った。これは部族連合の戦いより数日後のことであった。酒がこのように段階的に禁止されたのは、アラブ人には飲酒の習慣が一般的で、よく飲んだため、一度に禁止したら守ることが困難だとアッラーは知っておられたためで、それゆえ、このように段階的措置を取り、優しくされたに違いない。


このようにタフスィールを読むことによって初めて、クルアーンの啓示の順序と、時期による規定の変遷を知ることができる。タフスィールが必要とされる所以である。


本書は本邦初の日本語による本格的タフスィールである。

そこで解説においては、まずタフスィール一般について、次いで本書で訳出した『タフスィール・アル=ジャラーライン』とその脚注について概説し、翻訳に至った経緯、方法等について述べる。

預言者(アッラーの祝福と平安あれ)は言われる、

「クルアーンは、4つの言葉で啓示された。[1]知らずに済ませることが誰にも許されないハラール(合法行為)とハラーム(不法行為)。そして[2]アラブ人が解釈するタフスィール。そして[3]ウラマーゥ(学者)が解釈するタフスィール。そして[4]アッラーしかご存知ない難解句である」。

同様に預言者の高弟イブン・アッバースも、タフスィールについて以下のように述べている。

「タフスィールには4つの段階がある。[1]アラブ人なら自分の言葉として分かるもの、[2]誰にも知らずには許されないタフスィール、[3]ウラマーゥの知るタフスィール、[4]アッラーしかご存知のないタフスィールである」。

クルアーンの意味は無限に奥深く、その解釈タフスィールにもまた多くの段階がある。ここに訳出する『タフスィール・アル=ジャラーライン』はクルアーンの理解への道の第一歩に過ぎない。

『我らは望みの者に様々な位階を授けた。いかなる知者の上にも更なる知者が存在する』(第12章76節)

本書が読者諸賢をクルアーン研究へと誘う契機となれば、我々にとって望外の喜びである。この拙い訳業が本邦のイスラーム研究に裨益し、アッラーの嘉するものとなりますように。


1.タフスィールとは
「タフスィール(tafsīr)」とは、アラビア語の f-s-r の3語根の派生第2形 fassara の動名詞形であり、「説明」「解説」を意味するが、クルアーンの注釈書もまたタフスィールと呼ばれる。

イスラーム学の伝統においては、ハディース(預言者ムハンマドの言行録)、フィクフ(イスラーム行為規範)、ウスール・アル=ディーン(宗教基礎論)などの他の分野の作品の注釈書が「シャルフ」と呼ばれるのに対して、「タフスィール」の語は特にクルアーンの注釈書のみを指す用語である。またクルアーンの注釈者を「ムファッスィル(タフスィールを行う者)」と呼ぶ。

クルアーンの注釈を意味する単語としてはタフスィールの他に、タァウィール(ta’wīl)がある。タフスィールとタァウィールは共に同義語として互換的にクルアーン注釈の意味で用いられるが、特にタフスィールを「字義、顕教的注釈」、タァウィールを「真義、密教的注釈」として使い分ける場合もある。本書ではタフスィールの語を、特に断らない限り「字義、顕教的注釈」、「真義、密教的注釈」の双方を含む広義のクルアーン注釈の意味に用いることにしよう。

タフスィールには、クルアーンの一部の難解な個所、争点となっている個所のみの注釈(tafsīir mawdū‘ī)と、クルアーン全体を一句ずつ解説したタフスィール(tafsīr tahlīlī)が存在する。

初期のタフスィールは、啓示の状況や語句の意味について預言者や教友ら先人が解説した伝承の集成という性格が強かったが、後世のタフスィールにおいては、単語の語釈、構文の文法的説明、行為規範の規定の法学的説明、信条についての独自の神学的、哲学的、秘教的解釈など様々な主題が論じられるようになっていった。


2.タフスィールの歴史
タフスィールはある意味ではクルアーンの啓示と共に始まった。

クルアーンは、「明確なアラビア語」(第16章103節)とアッラーが仰せの通 り、明晰なアラビア語で啓示されている。しかしクルアーンが啓示された西暦7世紀のアラビア半島には中央集権的国家は存在せず、全国共通の国語教育が施されていたわけでもなく、国語(アラビア語)辞典もまだ編纂されていなかった(最古のアラビア語の辞書が編纂されるのは西暦8世紀)。

丁度同時期の日本においても和歌の言語が方言の地域性を超えたある意味での共通語の役割を果たしていたように、当時のアラブも詩歌においては部族を超えた「サジュウ(韻文)」体と呼ばれる共通のアラビア語の文体を生み出している。クルアーンのアラビア語も基本的にはこの「サジュウ」体の脚韻を踏んだ詩文アラビア語文体で啓示されている。

とはいえアラブ諸部族は日常語としてはこの共通アラビア語詩文体ではなく各部族独自の方言を用いていた。またクルアーンは、過去の異民族の諸預言者の物語や、未知の天国や火獄など幽明界の事物についても語っている。

そうであればクルアーンが「明白なアラビア語」で啓示されたとしても、聞いた者が全員それを理解できたわけではないことはむしろ当然であろう。

クルアーン自体が段階的に啓示される過程の中で、難解な個所や凝縮された表現を後の啓示が徐々に詳しく解き明かしていき、またそれと並んで教友たちから説明を求められた預言者ムハンマドがクルアーンに解説を施していった。これがタフスィールの始まりである。

預言者の没後は、預言者の高弟たちが、彼のタフスィールを伝え、また独自の解説を加えていった。教友たちの中で、特に多くのタフスィールが伝えられている高弟は、イブン・アッバース、アリー・ブン・アビー・ターリブ、イブン・マスウード、ウバイユ・ブン・カアブの4名である。

しかし教友の世代のムファッスィルたちは纏まった著作の形でのタフスィールを残しているわけではない。イブン・アッバースに帰される『イブン・アッバースのタフスィールの基準の照明(Tanwīr al=Miqyās min Tafsīr Ibn ‘Abbās)』は後世の偽作とされる。

教友に続く後続者の世代になると、大征服によって拡大したイスラーム世界各地に散らばった教友たちの教えを受けて、各地にタフスィールの地方学派が生まれた。中でも最も有力な学派となったのは、マッカ学派、マディーナ学派、クーファ学派、バスラ学派、シャーム(シリア)学派などである。

例えばマッカ学派の後続者(第二世代)のムファッスィルの一人ムジャーヒド・ブン・ジャバル(ヒジュラ暦104年没)は、イブン・アッバースに師事し、クルアーンについて1節毎にその啓示のきっかけと模様を尋ね、それをクルアーン全節にわたって3回にわたって繰り返した、と伝えられている。但しインドで校訂・出版されたムジャーヒドのタフスィールの現行の校訂版に収められているのはクルアーン全章ではなく、第1章と第2章「雌牛」13節までが欠落しており、第2章14節から最終第114章「人々」までだけである。

纏まった1冊の著作としてクルアーンの最初から最後までの各節を通して解説したタフスィールでは、現存する最古のものは、後続者の後続者、つまりイスラームの第3世代のムファッスィルのムカーティル・ブン・サルマーン(ヒジュラ暦150年没)のタフスィールである。なおムカーティルは上記のムジャーヒドの教えを受けている。


3.タフスィールの翻訳
クルアーンの章句自体の外国語訳については、ペルシャ人の教友のサルマーン・アル=ファールスィーが、イエメン在住のペルシャ人ムスリムからクルアーン第1章の翻訳を求められて、「アッラーの御名によりて(bi-smi Allāhi al-Rahmāni)」をペルシャ語「(be(によって)−nām(名)-i yazdān(神)-i khoshāvande(恵み深い)…)」に逐語的に翻訳したと言われているのをはじめ、アラビア語を解さない者のために当初から行われていた。

タフスィールの翻訳としては、ヒジュラ暦4世紀にサーマーン朝のスルターン・マンスール・ブン・ヌーフ(在位ヒジュラ暦350-365年)の要請によって中央アジアのイスラーム学者たちによって行われたアル=タバリー(ヒジュラ暦310年没)の大タフスィール『解説集成(Jāmi‘ Al=Bayān)』のペルシャ語への翻訳がある。

ペルシャ語のタフスィールとして最も優れたものは、ヒジュラ暦6世紀半ばにアブー・アル=フトゥーフ・アル=フサイン・アル=ラーズィーによって書かれた『愛の歓喜と心の魂(Rauh al=Hanān wa Rūh al=Janān)』である。

クルアーンの意味と旋律の全てを、統語体系の異なる他の言語に完全に翻訳することは不可能である。それゆえクルアーンの外国語訳は、あくまでも意味を近似的に説明するだけであることから、翻訳(tarjamah)の名称は避け、各国語によるタフスィール、あるいは「タフスィール的翻訳(tarjamah tafsīrīyah)」と呼ばれることが多いが、今日では、多くの言語によるこの「タフスィール的翻訳」が行われている。

一方、イスラーム世界の外では、「タフスィール的翻訳」の域を超えた本格的なタフスィールとなると、まだ殆ど存在しない。英語においてもオリジナルなタフスィールはまだ存在しない。翻訳についても古典ではアル=タバリーの英訳が刊行中であるがまだ完結していない。全巻の翻訳となると、古典イブン・カスィールのタフスィールの要約の英訳(全10巻)、現代の思想家マウドゥーディーのタフスィールのウルドゥー語からの英訳(全6巻)があるのみである。

日本語においても、これまで本格的なタフスィールはまだ書かれておらず、またアラビア語のタフスィールの翻訳もなされていないが、日本語による所謂「タフスィール的翻訳」は既に何点か存在する。

最初のものは坂本健一訳の『コーラン経』(上下2巻)で大正9年に「世界聖典全集」に収められている。ただしこれはアラビア語のクルアーンではなく、英訳からの重訳であった。

アラビア語のクルアーン原典からの初の訳業は、昭和32年の井筒俊彦による『コーラン』(岩波文庫、上中下3巻)である。

アラビア語のクルアーン原典との対訳では、昭和47年に日本ムスリム協会によって『日亜対訳注解聖クルアーン』が刊行されたが、同書は改訂を重ねつつ現在に至っている。

ここに訳出する『タフスィール・アル=ジャラーライン』は、単なる「タフスィール的翻訳」ではない本格的なタフスィールとしては本邦初の試みとなる。


4.『タフスィール・アル=ジャラーライン』
現代イスラーム学の代表的タフスィール研究であるアル=ザハビーの『タフスィールとムファッスィルたち』が、『タフスィール・アル=ジャラーライン』を評して「最も広く普及し、最もよく読まれ有益なタフスィールに数えられる」と述べている通り、『タフスィール・アル=ジャラーライン』はスンナ派イスラームの最も標準的なタフスィールの一つであるが、現代シーア派のタフスィール学者からも「その簡潔さにも拘わらず、諸タフスィールの精髄とみなされる」との評価を得ており、文字通り宗派を超えた代表的なタフスィールである。

『タフスィール・アル=ジャラーライン』とは「二人のアル=ジャラールによるタフスィール」を意味するが、二人のアル=ジャラールとは、ジャラール・アル=ディーン・アル=マハッリーとジャラール・アル=ディーン・アル=スユーティーを指す。書名の由来はアル=マハッリーが第1章、及び第18章から第114章(終章)までを書いて未完に終ったタフスィールを、同じ方法論でアル=スユーティーが第2章から第17章までを書き継ぎ完成させたことによる。

アル=マハッリーは、本名をムハンマド・ブン・アフマドといい、791/1389年エジプトのカイロに生まれ、864/1459年にカイロで没したシャーフィイー派の法学者で、タフスィール以外にも、シャーフィイー派法学、法基礎理論、アラブ文法学などの著作を残している。

アル=スユーティーは、本名をアブドッラフマーン・ブン・アビー・バクルといい、849/1445年カイロに生まれ、911/1505年にカイロで没したシャーフィイー派法学者であるが、生涯に500冊以上の著書を遺した多作な碩学で、タフスィールに関しても他に単著『撒き散らされた真珠(al=Durr al=Manthūr)』があるほか、彼の著作はクルアーン学、ハディース学、法学、哲学、文法学などイスラーム学のあらゆる領域をカバーしている。

『タフスィール・アル=ジャラーライン』に対しては多くの解説書、脚注が著されているが、最も著名で学者の間で読み継がれているのは、『アル=ジャマル脚注』と『アル=サーウィー脚注』である。

アル=ジャマルは、本名をスライマーン・ブン・ウマルといい、エジプトのガルビーヤに生まれ、1204/1790年にカイロで没したシャーフィイー派法学者であり、シャーフィイー派法学、ハディース学、スーフィズムなどの著作を遺している。

アル=サーウィーは、本名をアフマド・ブン・ムハンマドといい、1175/1761年ガルビーヤに生まれ、1241/1825年にマディーナで没したマーリキー派法学者で、マーリキー派法学、神学、修辞学、スーフィズムなどの著作を遺している。


5.邦訳にあたって
本邦初の本格的なタフスィールにあたって、『タフスィール・アル=ジャラーライン』の訳出を選んだのにはいくつかの理由がある。

第1の理由は、既述の通り同書がイスラーム世界で最も広く読まれてきた標準的なタフスィールの代表的古典の一つである、という事実である。

第2の理由は、同書が適度に簡潔な釈義書であることにある。タフスィールには、日本の読者にとっては益の少ないアラブ言語学の煩瑣な議論、ハディース伝承経路を詳述し、法学上の対立の専門的な論争などを収録した数百頁の大版で30巻を超える浩瀚なものも少なくなく、決して初学者に相応しいとはいえない。ちなみに本訳で主として参照した『アル=ジャマル脚注』でも全8巻、総頁数は4070頁に達する。「非常に周到に構成された要綱であり…クルアーン注釈の初歩の学習における理想的な教材」と言われる『タフスィール・アル=ジャラーライン』は初学者が参照するにも適切な規模であると思われる。

第3に同書には、『アル=ジャマル脚注』と『アル=サーウィー脚注』という優れた脚注が存在することである。『タフスィール・アル=ジャラーライン』は簡潔なだけに、凝縮された表現が用いられており、監訳者にとっても、難解な個所も多いが、両脚注によって意味を確定することが可能である。

第4に、両脚注の存在によって、『タフスィール・アル=ジャラーライン』では簡潔に過ぎ不十分だと思われるところを、日本の読者に必要と思われる範囲において、補完することができることにある。

最後の理由は個人的な事情であるが、監訳者がタフスィールを学んだマジュディー・アーシュール師から指定されたのがこの『タフスィール・アル=ジャラーライン』であったことによる。

監訳者は1997年から翌98年にかけてマジュディー師について『アル=ジャマル脚注』を参照しながら『タフスィール・アル=ジャラーライン』を読了し「イジャーザ(修学免許)」を得た。また訳者も、同師に師事し両書を学びイジャーザを得ている。それゆえ『タフスィール・アル=ジャラーライン』は、我々自身にとっても訳出して読者の便宜に供するに最も相応しい書なのである。

『タフスィール・アル=ジャラーライン』は多くの版を重ねているが、翻訳にあたっては、『アル=ジャマル脚注』の収録するものを底本とし、適宜他の版を参照した。なお、『アル=ジャマル脚注』にもベイルートのダール・アル=フィクル書店版、カイロのダール・アル=マナール書店版の2つの版があるが、本翻訳で底本にしたのはダール・アル=フィクル書店版である。

タフスィールの翻訳においては、『タフスィール・アル=ジャラーライン』本文を全訳した上で、説明の不十分な部分を『アル=ジャマル脚注』によって補った。『アル=ジャマル脚注』は左1文字下げて記した。

なお翻訳にあたっては、『アル=ジャマル脚注』『アル=サーウィー脚注』の脚注の他に、主としてアル=サミーン・アル=ハラビーの『護られた真珠(Al=Durr al=Masūn)』(全8巻)、ワフバ・アル=ズハイリー『灯明タフスィール(al=Tafsīr al=Munīr)』(全32巻)を参照した。

アラビア語と日本語では統語論、語順が全く違うため逐語訳はそもそも不可能であるが、日本語に訳すにあたっては、出来る限り、原文の順序を重んじた。翻訳にあたっては『タフスィール・アル=ジャラーライン』の文法的説明も逐語的に訳するよう努めたが、アラビア語の文法は日本語とも英語とも根本的に異なるため、厳密には異なる用語を当てざるをえず、翻訳の限界を痛感させられた。他方、『アル=ジャマル脚注』の記述は適宜要約、敷衍して読みやすさを心がけた。

クルアーン本文の訳文はタフスィールと区別しやすいように太字にした。クルアーン本文の訳は、『タフスィール・アル=ジャラーライン』の読誦法に従った。『タフスィール・アル=ジャラーライン』の読誦法が現在広く流布している現行の「ハフス&アースィム」版のクルアーンの読誦法と異なる場合は、注にその旨を記した。

『タフスィール・アル=ジャラーライン』本文のクルアーン読誦法の説明は極めて簡潔であり、そのままではアラビア語文法に習熟していない読者には理解不能と思われるので大幅に言葉を補った。

例えば第2章83節の『おまえたちは…仕えはしない』の注釈は『タフスィール・アル=ジャラーライン』本文では「bi-al=tā’ wa al=yā’(「ターゥ」と「ヤーゥ」で)」とあるだけであるが、「(動詞接頭辞を二人称の)『ターゥ(t)』で読む(「おまえたちは…仕えはしない(ta‘budūna)」)読誦法と(三人称の)『ヤーゥ(y)』で読む(「彼らは…仕えはしない(ya‘bdūna)」)読誦法がある」というように言葉を補ってある。

また第2章126節の『楽しみを与え』の注釈は『タフスィール・アル=ジャラーライン』本文では「bi-al=tashdīd wa al=takhfīf(重くと軽くで)」とあるだけであるが、「動詞派生形第2形の促音(umatti‘u)と第4形の促音なし(umti‘u)の読誦法がある」と言葉を補った。もとより、動詞派生形第2形、第4形といった用語は、アラブ文法学には存在しないが、日本語のアラビア語文法書では最もよく使われる分類であることから、慣用に従った。

『タフスィール・アル=ジャラーライン』の注釈が現代科学の世界論と異なる場合も、そのままその注釈を訳出した。いかなる時代においても、人間は、自らの世界観こそが真理だ、との思い込みから自由になることは出来ない。現代もまた然りである。『タフスィール・アル=ジャラーライン』の世界観が我々の目に奇異、未開に映るとすれば、それは今日の科学的知見を読み込んだタフスィールの明日の姿であろう。世の終わりまで変わらぬものは、アッラーの御言葉のみである。そのことを忘れないためにも、先人の解釈を現在の視点から断罪することなく、『タフスィール・アル=ジャラーライン』の解釈をそのまま伝えることこそが我々の義務である、と我々は考える。

特に「イスラーイリーヤート」と呼ばれる旧約聖書に関わる物語については、預言者に遡りうる真正なハディースではなくユダヤ教徒の伝説が混入したものとして、現代のイスラーム学界では、極めて否定的な扱いを受けている。しかし我々は、むしろそれを、ユダヤ教をも包摂した前近代のイスラーム世界の姿を知る貴重な資料と考えて、敢えて多くの物語を収録した。

翻訳にあたっては、アラビア語の単語と日本語の訳語を厳密に対応させたかったが、文脈により意味が微妙にずれることもあり、監訳者、訳者の力不足により、思うにまかせなかった。読者の御寛恕を乞いたい。

本書はあくまでもクルアーン注釈の初歩の入門書でしかない。本書をもってクルアーン注釈であると錯覚する愚は厳に避けねばならない。タフスィールの全容の一端を垣間見たいと思う読者は、僅か4節からなる短い節ながら「クルアーンの3分の1」と呼ばれるほど尊重され、人口に膾炙した第112章「純正」の中から、日常語としてはあまり使われない語「サマド」が用いられている第2節「アッラー アル=サマド」を例に取り、古今の主なタフスィール80点を通時的に並べ関連個所を全訳しその発展を通観した別冊を参照されたい。

最後に、本書の出版にあたってご尽力いただいた日本サウディアラビア協会、および編集、校正でご協力いただいた櫻井莞爾氏、小野明香氏への謝辞をもって、監訳者の解説を終えたい。

転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2005年 アラブ イスラーム学院