20 イスラームの祭りの概念

毎年の楽しみ
 前回、イスラームにおける金曜日、「ジュムア」についてお話しました。
 これは、イスラームの主な祭日ではなく、前回もジュムアを祭日とは呼ばず、祝い事もないとお話しました。
 さて、イスラームには大きな祭日が二つあります。一つはイード・ル・フィトル(断食明けの祭)、もう一つはイード・ル・アドハー(犠牲祭)で、この二つはイスラームを信奉する国々で祝われています。
 祭日のことをアラビア語で「イード」と言います。イードとは「繰り返し」とか「再び起こる」という意味でした。
 つまり、イードとは、毎年喜びや楽しい祭りごとが催されるという意味です。

二つの祭日
 イードはイスラーム教徒にとって大変大事なものです。というのは、これらは重要で崇高な出来事を最後までやり遂げたことを祝うものだからです。
 その二つとは、聖なる月、ラマダーンの断食と、大集会のハッジ(大巡礼)のことです。
 ハッジは、世界中のイスラーム教徒によって年に一度行われているものです。
 ハッジに参加することに経済的にも身体的等にも問題のないイスラーム教徒は一生のうち一度はこれに参加し、サウジアラビアの西に位置する聖なる都市、マッカ(編註、メッカ)に行かなくてはいけません。
 この二つのイードは、年に一度づつイスラーム教徒同志がお互いのつながりを確かめ合う機会で、イスラーム独特のものです。
 断食明けの祭り、イード・ル・フィトルはイスラーム暦のラマダーン月(九月)に続くシャッワール月(十月)の初日に当たります。
 ラマダーン月はイスラームの歴史において大変に重要な月です。この月はイスラームの勝利の月です。この月に『クルアーン』が掲示され、また断食を行うように命じられました。『クルアーン』の中に次のようにあります。
「ラマダーンの月こそは、人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。
それであなたがたの中、この月(家に)いる者は、この月中、斎戒しなければならない。
病気に罹っている者、または旅路にある者は、後の日に、同じ日数を(斎戒する)。
アッラーはあなたがたに易きを求め、困難を求めない。
これはあなたがたが定められた期間を全うして、導きに対し、アッラーを讃えるためで、恐らくあなたがたは感謝するであろう」
(第二章(雌牛章)百八十五節)

イード・ル・アドハー
 犠牲祭、イード・ル・アドハーはズ・ル・ヒッジャ月(十二月)十日です。この月はイスラーム暦最後の月です。これは、マッカへの大巡礼の主な過程を終えた後にお祝いします。この巡礼とは、全てのものを犠牲にして唯一の神、アッラーに帰依するという精神に満ちたものです。
 イード・ル・アドハーには、歴史的な由来があります。イードの中で、イスラーム教徒は動物をいけにえにしますが、それはおよそ三千年前の預言者イブラーヒーム(アブラハム)の故事に因んだものです。
 預言者イブラーヒームは神へのいけにえとして、自分の息子イスマーイール(イシュマエル)を殺さなければいけないという夢を見ました。その朝、イブラーヒームは自分の息子に「私はお前を神のいけにえに捧げる夢を見た」と告げると、息子はそれが神の御意志なのだからとして、それに同意しました。
 そして、預言者イブラーヒームがいけにえを捧げる用意をし、息子を殺そうとした時、神は彼に羊をもたらし、イスマーイールの代わりにそれをいけにえにするようにと命じました。
 このことは、預言者とその息子がどれほど神に対して誠実であったかを示しています。
 この歴史上の出来事は『クルアーン』の中にも書かれています。
「(この子が)かれと共に働く年頃になった時、かれは言った。『息子よ、わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。さあ、あなたはどう考えるのですか。』
かれは(答えて)言った。『父よ、あなたが命じられたようにして下さい。
もしアッラーが御望みならば、わたしが耐え忍ぶことが御分かりでしょう。』
そこでかれら両人は(命令に)服して、かれ(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時、
われは告げた。『イブラーヒームよ。
あなたは確かにあの夢を実践した。
本当にわれは、
このように正しい行いをする者に報いる。
これは明らかに試みであった。』
われは大きな犠牲でかれを贖い、
末永くかれのために(この祝福を)留めた」
(第三十七章(整列者章)百二~百八節)
 そこで、このイードの中で、イスラーム教徒は預言者イブラーヒームにならって、羊をいけにえとするのです。

理想的な社会の現れ
 イスラームのイードはあらゆる点で大変独特のものです。他のどんな社会的、政治的制度にも同じようなものは見当たりません。また、イードは大変気高い精神を持ったもので、それらに匹敵するものはありません。
 それぞれのイードはイスラーム教徒一人一人がアッラーの下僕としてなした素晴らしい功績を讃えたものです。イード・ル・フィトルはまる一ヵ月間、日中の完全な絶食を行った後に来るものであり、イード・ル・アドハーは大巡礼をやり遂げ、世俗的な悩みを捨て、ただアッラーの御言葉だけに耳を傾けることを堂々と表明した後に来るものです。
 また、それぞれのイードは、それに先立つ義務を果たし、仲間同志喜びを分かち合って集まり、アッラーに感謝を捧げる日です。こういった形での感謝は、心からの祈りとか言葉によってできるものではなく、全くそういったことを超えています。イードということ自体が理想的な社会の姿と博愛の精神を表しています。
 ラマダーンの断食を成し遂げたイスラーム教徒は、イード・ル・フィトル

 

     
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